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ミシンの糸切れー5

4が少し長すぎでしたかね、5も長くなりますよ、暫くご辛抱?ください、

私は中学を出たとき、自分の頭の馬鹿さ加減は知ってましたので、此では大きな所に勤めてはウダツが上がらないなぜなら55人の私クラスの中でも最低の成績だったからです、私の下は特殊学級ですから、此は勤めるなら独立出来そうな所と決めていましたから、資本が貯まるまでは 実入りのおおい所、結局通運会社の運転手をやってました体は大変でも、お金を掛けて運動するなら、お金をもらって体を作った方が良いとも思っていました、当時通運会社の労働は並の物では有りませんでしたが

休みは有りましたので休みには山へ行きながら 何事も前向きに考えて頑張りました力仕事は大変なのが1年で毎日やっていると力が付いて来ます、それに初めの頃は無理はしませんので日に日に強く成っていきます、世界的スキーヤーの黒い稲妻と言われたザイラーも聞くところに寄りますとオフシーズンは木こりをやっていたと言います、私の祖先も和歌山、の十津川で何百人も先祖代々木こりでしたから、骨格は本より頭の中も木こりの遺伝子が濃かったのでは、此が7年続いて見るとその間に掘り起こされてか、

 力では負けないように成ってきます、腰が強く成ってきます、仕事は担ぐ物ばかりです、強かった時には50キロのセメンを2体担ぎました、しかも幅40センチにも満たない現場のぶよぶよした渡り板をほいほい渡るのです、
1度ではないですよ、来る日も来る日も、一五トン貨車から二回取りと言って4トン車で7,5トンずつ現場に運ぶんです、この時の車への積み降ろしです、勿論お金はかなりもらいました、
仲間は大抵飲んでしまいましたが、?私は貯めました。
こんなお金とその時に鍛えられた体で山も登り 店も独立したんです、こんな激しい労働を七年やったんですから、余程の馬鹿を自覚していないと出来ません、今で言うスポーツセンターの鍛えとは 鍛え方の訳が違います、

1日は大体12時間ですよ、残酷な?鍛え方でした、セメンで背中の皮がむけて痛くて担げなくなる、仕方なく反対の肩で担ぐ、こちらも皮がむける、此を2~3日ごとに繰り返すと、肩にかさぶたが付いて 其れがやがてたこになります。
ですから私の体は 土方に負けなくて 人一倍天性?の身軽さがあったんです、「簡単に言えば登攀にたけた
とび職の親方ですかね」違うのが記憶力が悪く、応用力の効く頭ですかね、此が問題ですね、しかし此も天性では、そうでなければあれだけ、先駆けては登れません、しかも一ッ本ではなく五本も六本も初登攀したんです。

此処に前にも出した衝立の 絵の写真を入れます、Rimg1109
話しがそれましたが、それついでにもう一つ、
勿論 ミシンには関係がないが どのくらいの力と知恵?が有ったか 面白い嘘のような本当の話しの例が有る、

独立して15年は過ぎていたから、既に 運送やで出来た力は殆ど無くなっているはずなのに、出来たのです。
と言うのは今の私の家の前にいたのは 同じ西調布の1番街と言う商店街の長屋?にいたんですが、其の家の二階に
ヤマハの縦形ピアノが有ったんです、此のピアノを殆ど私一人で下に下ろしたんです、目方は250キロぐらいで
大の男が4人でも慣れないと 二階所か 1階からでも動かせないんです、その時の二階の間取りが、道路側に六畳

真ん中に三畳 奥に4,5畳 此の奥の四,五畳にピアノがあったんです、そのピアノを勿論一人で動かして、道路ぎわの六畳までもってきて其処にある手すりを越して下のトラックに下ろしたんです、この時トラックには大工さんと内の家内が上がっていたんですが、運んで下ろしたのは、嘘ではない私一人です、此を聞いた会のOBの武藤君、知っている人もいると思いますが 、此はたまげた、彼は運送会社を何十年も渡り歩いたプロ中のプロです。

此のプロがたまげた、ザイルを使ったにしても何をどうつかおーが、それは不可能に近い、と私の腕?をでっさん
したのです、未だに此のピアノは家に有ります 欲しい方は、一階ですが部屋から出してもっていって頂ければ差し上げます 如何ですか、?今では私はお手伝いできませんよ、しかし幾ら私が強くても力だけでは降りませんし
誰に習ったでも有りません思いつきです、 此らの思いつきが時に初登攀に絡むんです今の私の絵も同じです。

未だ武藤君は元気ですから 聞いてご覧なさい二階からピアノを下ろすという事が如何に大変か、相棒が死んでいる初登攀の記録の話しは危ないよ、さて。

このころでしたが 当時放出物資と言って 朝鮮戦争での米軍の使用済み軍事物資が大量に出回っていました
其れを扱っていたのが 私のいた、山幸でした、杉山さんは此の放出物資の大元の所とつながりが有って其処から品物を引いていました、殆どの品物がキャンピング用品や岩登り用品でした、戦後日本の復興は此の放出物資を出した朝鮮戦争

のお陰と言っても過言ではない、と言うほどこの戦争の恩恵は大きい物でした、我々山屋もこれらのアメリカの進んでいる洋品の全てに目が奪われた物です、汚れた物も有りましたが、カラビナ、ナイロンザイル、マット
テント、等々あらゆる物が有りました、缶入りの携帯燃料なんかも有りました、此をまねた?白クマの国産のも有りましたが、我々山屋は多かれ少なかれ これらの品物に目を見張ったはずです、

勿論朝鮮戦争が終わって何年も後の話しです、此処で付け加えておきたいのが 私が世に先駆けて 岩壁登攀で使用した ハンモック 此も此の放出物資でした USAでしたね、独立するまえでですよ。

此の品物は私は可成り早く山幸に来る10年くらい前と記憶しています なぜなら北海道から持ってきたんです、
アメリカのガソリンコンロや寝袋を既に使っていましたこれらは昭和24年頃には既に使っていました、
ですから20年近くたっても未だ此の放出物資の流通が続いていた事に成りますが はっきりした年代は定かでは有りませんが、

山幸では 靴を作る前は此の商品が儲け頭?であったことは間違い有りません。
こんな関係から、私が独立した頃も未だアルミ(素晴らしい材質のジュラルミン)のカラビナが少しですが出てきていました、此を参考にして 私はウノさんという所に作って戴いて、可成りの量売らせて戴きました、お持ちの方もいるのでは?、

そんなときに 此の物資を扱う店に何か無いか見に行ったところ、フック付きの金物が有ったんです、此はゼルブストに持ってこいの金物だと思い有るだけ買ってきたんです、後で写真を出しますが、此にナイロンベルトを買って
通すと売れると確信したんですが、ベルトを縫うミシンが無いので 厚物用の中古ミシンを買ったんです、二万くらいだったとおもいます此が

開店の年か次の年か 分りませんが、 可成りの量を作って売りました、その内に店番のほうは番頭さんに任せて私は時間の許す限り 何かを作って売ったんです、その内にテント縫い用のミシンも買ってスパッツやオオバー手など、ウエストバックなども、店で売れる物で 付属品の比較的いらない物を縫いまくったんです。

その内に倒産した縫製工場かな素晴らしいミシンを安く買ったりしてミシンは増えだし、店も倍に広げる事が出来たので面白いようにやっていました、そんなとき欲をかきすぎて、第一時石油ショックの時には その様にしてこつこつ貯めたお金を全て履きだして銀行には 三八〇〇万の負債がのこり、倒産寸前でしたが、幸い 店を買ってありましたので、銀行が助けてくれたんです、此の借り入れを返すには なんと言われようがなりふり構わず、頑張りました、

此も体が丈夫であったからと 再びミシンに乗って かせげた為では?一時はひどい物でした何度店を手ばなそうと思ったことか 知れません結局此のお金を返しきったのが、私は五五才に成っていました。
此の自分へ のごほうびとして、初めて憧れのヒマラヤをせめて見るだけでもと思い家内と見に行ったのです、
感激でした返済のない肩の軽さに気もそぞろ、前後に ポーターとガイドも付けて、五人で歩いたんですしかも彼らにはたんまり祝儀をはずんで。

この時の為に新しく買ったカメラが25万でガイドに聞くと石の大きな家が出来ると言ってましたが、貧困を見に行った訳では無いんですが、東京では1番小さな店でも バブルのはじけた当時でも売れば億ですから、可成りの優越感は有りました
あれを売って此処で生活したら可成り良い生活が出来るのではないか?等とも考えました、しかし私は此処へ来ても 3ヶ月もしないで 何か始めるでしょう、 ならば日本の方が 何をやってもやりやすいのでは、しかし幾らか

尾を引かれました、店を売らなくても1千万もあれば此処では何とかなる、3800万の負債を返した自信ですかね浮いた1千万でなければ駄目ですが 夢のお金ではないのです。
その後毎年に1~2度は海外旅行を楽しみました、如何に3800万の返済が大変な物だったか。
独身ならやったかも知れない、当時でも土地は買えなかったので夢を再びは行かない 此が本音ですか。

ガガーリンではないですが。この時の十一月のヒマラヤの空は素晴らしく青かったんです。
Photo_2
此は「むべ」というアケビの仲間で 実は美味しくない、渋い方は生け花に使う?此処のミシンの文には関係が無いが 私には多いに関係が有るんです、むべのお話を暫く聞いてください。

私がアケビを知ったのは何時のことか定かではないが、このツルを食べられる事を知ったのは其れでも30年も前のことでは、其れは当会切っての 山菜に明るい穂刈君に聞いたのでした、有る上越の旅館で出された おしたし
を指して「此は珍しい アケビのツルだな、珍味だよ」と言って箸でつまんでいたので我々も「そうなんだ」と言いながら苦味のあるのを おそるおそる食べたのが初めて意識した アケビでした、彼はこの苦味がこたえられないとか、

所が10年程前の話ですが、水上温泉で 犬の散歩する時の物か 町中犬の糞が汚いので何とかしなければと苦心サンタン試して見たところ アケビの根本にした糞が二日?も立てば無くなる事を発見、アケビには糞を食べるバクテリアが沢山有るのではないか?と考えてテストを繰り返した結果が、街のあちこちにアケビを入れた糞のポスト?を置いたという、結果は素晴らしい、街から殆ど糞が無くなったと言う。

テレビで此が取り上げられて、東京でも可成り取り入れたという話しを聞いたのです、ご存じの方もいるのでは。

そんな昨年のこと、会の小保方君の西湖の別荘に行ったところ、トイレがくさいので「此では女の会員は来ないよ、
トイレを水洗にしよう、其れにはくみ取りが大変だから、近くにアケビでも植えて、其の実をトイレに入れたら?」
こんな提案をしたわけ、皆はこのアケビの水上の話しは知らないので 半信半疑で乗る気にはならなかったんで

す、私は田舎でこの貯まったトイレを汲んで畑に巻いたんですが、此は年に一度はやらなければ成らない春の嫌な仕事でした、目をつぶるようにして意を決して兄とやった物です、いま 山小屋でバクテリアによるトイレの浄化が逸っているが、此のバクテリアは このアケビのバクテリアではないのかと、想像していますが、しょせん此のバクテリアの名前は知りませんので知るすべが有りませんが、大池小屋で見たところ余り効率的ではないので

何か違うように思いましたが、使われているバクテリアアケビとどちらが強いか知りたい物です。

このバクテリアが安く買えるので有れば、其れも良いが、自然を愛する我々にしてみればせめて自分の別荘の
トイレの処理は別荘の庭で取れたアケビで処理したいと思うんですが、このアケビは 何本か無いと実が付かないという
このうちの1本を「むべ」にしたいと ロマンをふくらませるのですこの方が
夢が有るのでは、植木屋さんに頼めば有ると思うんですが、人の別荘ですから、手を出しかねます。

昨年私は成績桜ヶ丘に有る記念館で絵の個展をやったわけ、其処へいつも行く渋谷の画材やさんウエマツさんの番頭さん 藤本?さんが見に来て、一緒に帰ったんですが、公園のなかを歩くと何と色々な木の名前を知っているのです、田舎で覚えたという 大変懐かしそうに 話してくれるんです「あの木の実は羽子板の羽のおもりに使うんだよ」

等々この木の名前は忘れましたが、パーキングまでの数百メイトルに何本も、説明してくれたんです、その中には九月に咲くさくらが有り近づいてみると可成りの満開に咲いてました、所がパーキングの手前に来ると其処の
藤棚の様な棚の前まで来たとき「あコレがむべ」だ」発見したように言う「此はアケビの一種で実は食べられないが、なかなかあじのある木なんだよ、アケビと違ってなかなか無いよ、」此処で初めてむべ成るアケビの仲間が有って実はアケビの様には割れないが、アケビの兄弟が有ることを強く知ったんです。

時に「渋い人は生け花に使うがね 此処は渋いね可成り渋い家だね可成り古い木だよお爺さんがきっと植物がすきなんだよ、この言葉に私は感激して 此のむべの大きな棚がお気に入りに成ったんです 、其処で私は西湖の別荘に是非このむべも植えたいな、と進めていたんですとても良く合うと見たんです、数日前 深大寺に菊を見に

行ったんですが、私の目には菊ではなく「寒らん」と此のむべと入れ物にの書いてある、乾燥した物が目に付いたんです、此処は木の実展で 係りの人が 「むべですかあそこにも有りますよ」大きく
飾り付けられた展覧会呼び込み用の柵に誇らしげに3こ付きを飾ってありました。

矢張り此処の案内のおじさんも好きなんだ、普段は見向きもされないむべ一度そんな日陰の植物に惚れたら?

そうそう書き忘れていた、今は11時半、テレビを見ていて思い出した、
今夜のおかずは マーボドーフ、ギョウザの残りの引き肉に此叉残りの長ネギ 少しコチジャンが多すぎて甘くなってしまった、ご飯のチンが3分 こちらは6分で出来てしまう、ネギの刻みが 一番掛る後は片栗を入れてから
焦げる寸前まで焼く、此処までは 普通だがここからが違うと思う、今日は此に納豆を入れた 納豆マーボでした

洗うにも手際が良いよ 皿に分けて洗うためにフライパンに水を掛けると取っ手の近くの金属部が ジュウと言いました、そのまま洗剤を掛けて たわしでぐるぐる洗ってOK、納豆は刻み納豆半分ずつ、結構美味しく食べました
デザートは矢張り庭で取れた 甘い甘い柿でした。

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コメント

北さんコメント有難う此処はまだ工事中なのに
コメント戴きましたね、此で取りあえず糸切れ
は終わりますが、あちらこちら直してますので

改めて読んで見てください、この所カウントが進んで 喜んでいます、そろそろスキーですよ。12月20日ころハンターマウンテンという那須の初滑りに行ってきます、今年は怪我で
殆ど滑っていません、少し心配です。

投稿: | 2007/11/19 21:53

カラビナ:南さん!有難う御座いました。
渋谷のお店で、安く売って頂いて、安給料取りには、大いに助かりました。他より、やや大きめでしたが、何より、安くて助かりました。
お陰様で、購入出来、憧れの、衝立正面壁や屏風東壁が、登れまして、嬉しかった事を昨日の
事の様に鮮明に覚えています。お店には、会社の帰りに、お会いしたくて、毎日の様に通ったのが、懐かしいです。良い想いでは多すぎました。有難う御座いました。

投稿: 北 | 2007/11/19 16:27

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