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ミシンの糸切れー2

此の記事にアンコールが掛りました 誰かって、寺倉忠宏君です、君では無く さんかな、アンコールに応える事にしました。

思い出しながら書くので 工事に2~3日掛ります宜しく。

本当は昨日 深大寺に行って来たので其れを書こうと思っていたんですが、この後にします、そのほかにも
紅葉の東北の旅も書きたいんですが此も後にします。

さて 私が渋谷宇田川町で店を出したのが 1962年の4月1日でした、開店日なのにメイデーの解散の人が沢山見えたのを今でも覚えています、この店の前は 新宿の西口に有った 山幸と言う 山とスキーの専門店に6~7年番頭さんで勤めていました 社長が杉山さんという方でした 、独立前私は給料3万でしたので取りあえず

3万稼げば良いか何とかなるか 月に 経費別で3万以上有れば良い訳で7~8万の粗利が有ればよい訳で
月に30万売ると何とかなる 休まずで1日1万売れれば良い事に成ります。
此処の店に決めたのは 目白から渋谷の間色々探したんですが、帯に短したすきに長しでなかなか適当な店が
無いんです。
此の写真は先日菊を見に行った深大寺で菊ではなく 寒欄を見つけたので 春欄のじじばばは家に有るんですが、今頃咲くランは気に入りましたので 絵が無いと寂しいので出します、九州方面の自生欄だそうで 買いたい病が出てきましたが「私の強気のサインに家内が首を振りました」ので押えました、窓からスポットが入ってい輝いてました。
Rimg1439jpg

店は約4ヶ月探しました 勿論目に付く不動産屋さんに飛び込みで探したんです本当は沢山有るんですが私の予算内の店で 路面店がなかったんです、ビルの中のテナントなら有りましたよ、最終的に此処に決めたんですが 全くの偶然で、貸し車庫なら
有るんですが、と言うのです、一応見てみようと言うわけで、行ってみると、第一印象は 渋谷の駅から歩いてだんだん町はずれに成って貸すという車庫 から先には店らしい物が無くもし私が店を出したとすると私の店が最後

の電気、そんな感じでした、勿論NHKも無かったわけで 寂しい所でした、此処は月15000円で貸していましたが屋根付きというかシャッター付きでも借りる人が居なかったのです 、高かったんです7年番頭をやった人の半月分ですから高かったんですね今では幾らですかね、所が其の倍の3万、此は一月分の給料ですから高かったですね、車1台分の広さです、他に幾らでも空き地が有ったという事ですね、此処で仕方がないと言うことで気持

ちを固めたのは 狭くても本通り(バスが通っていた)でしたのと、不動産屋さんが親切で色々相場の話しをしてくれて、兎に角借りたら良い、借りた物の勝ちです、店を出すと営業権という権利がつきますなどなど、 自分の手持ち金が余りにも少ないと言うのが分ったからです、此処は敷金や権利金が安かった勿論それなりに高くはなったんですが他とは比較に成らない安かったんです、

不動産屋さんが 後は交渉してくれて 月に3万出してくれれば店として貸して貰えると言う事に成ったんです、隣は自分の車の同じ型の家主の車庫でした、ガレージの半分を貸して貰った訳です、私が半分に仕切り、元々作り事態が1階はガレージに、車庫なので天井が低くモルタルでさわるといたいたしく感じました、相場は知らないが私のお金で借りられる物件が少なく探す半年の疲れに負けたんです、

 此の低い天井では仕方がないので 此も壊して ねだを出して 蛍光灯を二階の床に取り付けました ビスが上に出ない様に確か短いビスで止めた様な覚えが有りますが、其れでも天井が低かったのでやけに蛍光灯が明るく感じました、手が届いたんです。

此は大工さんに頼んだんです 、この大工さんというのが、緑山岳会の寺田甲男さんでした、安くやってもらいました、未だに其の面影が洗面所に残っています、今でも見るたびに 思い出します、

ですから寺田さんは私が独立する時を覚えています、余計な事ですが其の前に矢張り同じ山幸にいた藤谷さんという方が 矢張り渋谷で スキーの専門店を開いていました 同じ渋谷でも彼の店は元力道山の道場の有った方で力パレスの方でした 今は渋谷を跨ぐバイバス?高架道路に成っている所でした、私の先輩に当たる人です「八方」という店でした

今は有りません、 
戸にも角にも私は宇田川に根を下ろして店開きをしたんですが、ひととおり品物を陳列して寺田さんにも払う物は払って、懐に残ったお金が18万有りました、何故覚えて居るかと言えば 此で家賃の3万が売れていけば6ヶ月は食べて行けるな と思ったので 後はそれ以上売れれば1年はつぶさずに何とかなる、この様に思ったのが
覚えています、18万の他に200万ほどが消えた様な気がしましたが 、造作と商品諸々でしたね、全部で開店

資金250万ほどは 山幸7年時代と その前の 東京通運7年間でこつこつ貯めたお金でした月に約4000円
の貯金ですかね15年ですね、店を出してからは 1度も床屋えは行っていません、先日「木曽駒」でその話が出て
45年で床屋代 月1で確か850万利息無しでかせいだ事になる、有る人は私はパンチパーマだから3倍は掛る

と言ってましたが、別にしみったれて伸ばした訳ではなく、1963年に池の上と言うところに引っ越したんです其れまでの1年間は店の近くにいたんですが家賃が高く 其処の駅前のアパートに安い所が有って引っ越したんです
所が此の池の上と言う所に 佐藤栄作さんが住んでいて、子供の散歩に行くと時々合うんです、

所がある日佐藤さんがテレビに出て 髪の話しが出て 長髪だったんですね、「私は若いときからばんからでしたから」とけろり
として言うんです、へー偉い人がバンカラなら髪を伸ばすのかな 単純にそう思ったんです、何せ1番偉かった人ですから。 でその月から おれも伸ばそう、と決めたんです、其れで次男が出来たときに栄をもらって名前も栄治

にしたんです治は本当は次男の次ですが此では、お前は次男だろうと言われると思って 治に変えたんです。
此が私の長髪のゆえんです、まだまだ続きますよ疲れました。

今夜のおかずは ゴーヤチャンプル どうしても量が多くなって3人前出来てしまいました今日のはもやしとのこりのシメジを入れました、それに もずくのお澄まし、デザートは庭で取れた柿で此の柿の美味しさは甘さかなマンション
では味わえない 強い甘さです 殆どが鳥にやられてしまいます、後20ヶほどしか残っていません。

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