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久々に山渓に乗りました

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これが其の山渓です、
新田次郎特集でのインタビューです、1頁出ています。
本自体は今月号は 木村大作の「剣岳 点の記」という
映画制作裏話の記事が目を引きます、
加藤文太郎の
剣岳 剣沢小屋雪崩消滅事件、
にメスを入れた記事、
なども目を引きます、
私のほうは1頁で
 「神々の岩壁」のことでのインタビュー
でしたが関連記事の中で、

冬季の富士山測候所
に宿泊した只一組の登山者
と言うことが出ています。
昭和26年の1月と思います。

これはこの本には出ていませんが、

このときに

泊めていただいた測候所の方が、加藤文太郎に
立ち会ったと言う方でした、いろいろ其のときの
話を聞きました、われわれは幸い?にも

この方たちに心良く向かえ入れられたことが、同じ
方たちなので 考えられない出来事でわれわれとしても
驚いたしだいです、まさか泊めていただけるとは。

加藤文太郎のときは風は無かったといいます、
私たちのときは、雪面に伏せていても飛ばされそうに
なる、風でした、測候所の計器では30メートル
ですね、と計器の記録を眺めながら言ってました、

私としては40メートルと言ってほしかったのを
覚えています、あんなすごい風でも30メイトル
なんだ、少しがっかりしたのをおぼえています。

平らなところで、伏せて滑落停止の格好で
がんばっても、ピッケルを軸に体が10センチぐらい
浮いたのです、後ろに居た鈴木君が、いるかと思い
後ろをすかしてみると、かれも私と同じ
ピッケルを胸に抱えて伏せていました、

初めは風に向かってピッケルで三又になって
がんばっていたんですが、だんだん低くなって
しまいには雪に伏せてしまはないと飛ばされそうに
なるんです、えびの尻尾と岩が混ざった
地吹雪が何度も襲いかかりました。
岩が飛ぶんです、
先日テレビでやってましたが、「おー飛んでる
飛んでる」と其のときを思い出してテレビを
見ていました、良く3脚が持つ物だ?
何かの陰にあるのか、と思っていました。

右回りで剣が峰に出ましたが、最後の鉄梯子から
這い出すのが、水門を上る鯉の感じでした、風と言うより
目に見えない 滝の水圧?に感じました、
這うように鈴木君と二人小屋に転がり込みましたが、

出来るだけ明るく「やーやー参りました、少し休ませてください」
「お仕事中すいません」職員の方が近寄ってきて、私の冷凍
えびのようになった、油氷漬けのオーバー手をはずして

くれました、下の毛糸手袋をはずして、手を見て、
「あ大丈夫だ」と言はれたのが、印象てきでした、
日が落ちないうちにくだらなければならないと

時計を見ると、職員の方が、「食事をお持ちなら
泊まっていったら」思わぬ誘いの声が掛かりました。
渡りに船、昼は食べていませんから、彼の食事

を夜に、私のお昼を明日の朝に、幸い予備に
大福を6ヶ持っていたので、渡りに船とばかり従いました、
4人か5人いたと思います、

加藤文太郎の時の断られた話をすると。

登山者を相手にしていたら、きりが無い、
それにあの方は、「陰険そのもので貴方たちとは
まったく違う、取り付きずらい、寒気がするような

印象の方でした、少なくても所員みんなが
首を横に振りました、

初めて出会った方は
こちらからは口をきけないぐらいの様相でした、
それも手伝っておことわりしたんですが、
夜 気になってどうしているか

探しに行ったのですが 金名水の小屋の陰で
かがんでいました、軍隊の夏のがいひを頭から
かぶっていました」
と言いながら 大きく首を傾けました。

落ち着くと
私はたまたまザックに入っていた来る電車で読んだ
女性週刊誌
を「よろしかったら濡れていますが読みますか?」
と言って照れながら出すと、大喜びで覗き合う

様にむさぼり読んでいました、こいつらも俺たちと
と同じだ、この方たちは私たちと違って、隔離された
場所にいて どのくらいで交代するのか?。
お堅い役所では 此処では この本は手に
入らないだろう

暖房は木炭ストーブでした、狭い部屋には
計器だらけ「潜水艦の中」

これが第一印象でした。

この山渓、172頁の単独行第4話を読んで
いてこのときの
測候所の方が言っていた加藤文太郎
の人物像の話を、バックミュウジック?にして読むと

分かるようなところが随所に出ます、
加藤文太郎を立てなければならないのに
かみ合わない、言いたくてもいえない?
そんな苦しい文章が続きます。
私は嫌われるかも知れませんが印象
をそのまま出します、ごめんなさい。

それよりも、単独行事態が、友人を作れない?
事による、仕方なしの単独行?、こんな気さえします、

体力も並では無かったとは思いますが、パーテー
を組むには、強い方は折れなければ、同じ体力
が出合うことはありません、知力も違います

時には目的を断念

しなければ、相棒はつかめません、私の場合は
さびしがりやのところがありますから、1人よりは
弱くなっても
二人、その人に合わせますから、何度も目的を

放棄した物です。

それでも1の倉の出合いで一人でビバークは出来ません
一度富士3合目の神社で寝たことが有るんですが
幽霊屋敷に寝ているようでした、
なにか怖いんです、
翌日が快晴、若い方が、登山家が来ているなら
頼みたいことがあるのですが、「何ですか出来ることなら」
「私たちはここは長いんですが、噴火口に下りたことが無い

ので是非行って戴けませんか?、」
これは願っても無いこと、「私も降りたことは無いんですが
時間が有りますので、行きましょう、

そこで装備をつけてもらって、先ほどの加藤文太郎
のビバーク地点近くの金名水近くから3人で降りました。

のぼりは10メートルほどの補助ザイルを持っていましたので
降りたところとは違う、測候所をめがけての壁を上りました。
こんな思い出があるんです。
今回の山渓では、私の記事の最後のところに、

「近年は日本画にも挑戦し、独自の
(胡麻斑岩流し技法)で山の絵などを描いている
と書いてくれました、
有難うございました。

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