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ホテルを抜けて和食屋への巻き

宿泊は、三条道り。 

藤田観光系のホテルフジタ奈良。 なかなかのホテルで立地条件は良し。

奈良駅からは徒歩でも行けますが、荷物もあったので、われわれ軟弱組はタクシーでした。

難を言えば、大浴場が無い、かな?

徒歩ならば、駅前アーケード商店街(奈良銀座?)を抜けて三条道り右折、同じぐらい歩いた右側です。

ごろりと一休み、ホテルの食事を嫌って、夕食に外出しました。 

近く交差点に観光案内が有って、食事処を聞きました。

すぐ近くに有りました。

吉座田右衛門。 カジュアル懐石。 まあまあ気に入りました。

一人3600にプラス1000円のマツタケ土瓶蒸し。

白ご飯を、栗御飯に変更。 結果一人、5千円弱でした。

5000円コースも有りましたが、松茸土瓶蒸しにこだわりました。

私たちの3600円は安いやつで、上には、8000円と12、000円などが有りましたよ。


それでも、

箸が「あらかじめ湿らせてあります。」とのこと。

持つとしっとりしていました。

運ばれてきた黒漆のお椀のふたの上に、霧吹きの様な露を見つけた娘が、私達のふたも見て同じに露が掛かっていたので「これは何か訳があるのでは?」

予約していなかったので、カウンター席でしたが、目の前にいる板前さんに聞くと

「運ばれて来るまでに、ふたが開けられていない明かしです。」とのこと。

つまり、蓋は取っていませんよ、途中で毒?など入れてませんよ、の証ということか。

御所では、毒見の後、椀物に、このように封をしたのだろうか?

奈良の懐石で、一つお利口になりました。

メニューには、私の好物、アナゴの1本揚げもありましたが、懐石のお品書きに「揚物」と有りましたので、先ずは来た物を食べて、足りなければ頼むことにしようと。

案の定、天ぷらはかなりのボリュームで。

熱くて食べられないぐらい、さすがは、満足した和食でした。
私たちは飲み物が無いので、その分追加できるのです。(笑)



帰りの道すがら、道路わきにあった観光マップを見ると、三条道りをそのまま上がる(坂道でした)と、徒歩で、奈良国立博物館に行けることが判ります。

ぶらぶら町を見ながら戻りました。

ホテルの近くに、小さなお寺が有って、瓦(かわら)が菊水の紋。

Img_7420

門の脇には何故かバナナの木が植えてあって、何とも不釣合いだが、この葉の緑が、黒い門の屋根瓦とつりあって、印象に残りました。

(写真は翌日。クリックして拡大すると、菊水紋が見られます)



実は我が南家も、ルーツの十津川時代から、菊水紋なんですね。

実家の仏壇には、金色の菊水の紋があしらわれています。


楠正成(クスノキ マサシゲ)ゆかりと思いたいが、それ程の血は引いてはいないのでは。

ぞうり取りかも。(笑)

正成が朝廷からいただいた、菊水紋、グループ全員でつかったようです?

十津川は奈良県の南端ですが、wikipedia(ウィキペディア)によると、

›山間の農耕に適さぬ地形のため、古来免租の集落としてその時々の権力者の支配を受けずに半ば独立した村落共同体として存在し続けた、、、

、、、建武の新政の際には楠木正勝(正成の孫)がここを拠点とし、以来尊王の姿勢を明治維新まで貫いた

とある。

実は南朝、北朝、逆転したんですがね。

父の南 留三郎から聞いた話では、正成が活躍していた時代(700-600年前)には、京都御所や寺の建て替えの時などには、兵だけでなく、十津川から木材を切り出して、無償?で差し上げていたようだ。

奈良に行って、思いがけず、菊水紋に南家のルーツに思いを馳せました。


今度は正成の神社がある神戸、湊川神社のまつりかな?可成り盛大なようです。

元々、楠家は現在の大阪の南側「千早赤阪」に居たらしい。

千早城と言えば聞いたこともあります。

こちらにも興味が出ました。

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